「ある人の仕事からくる光は、まっすぐこの世界に差込み、その人が死んだのちも残る。それが大きいか小さいか、一時的か永続的かは、その世界とそのあり方による。後代の者がそれを決めることになる。ある人の人生――語られた言葉、しぐさ、交友――からくる光は、記憶のなかだけ生き残る。しかしもしその光が世界に差し込むならば、それは新しい形をとって、記録され、残し伝えられる。一つの物語は、多くの記憶と言い伝えからつくられるのにちがいない」 ――エリザベス・ヤング=ブルーエル『ハンナ・アーレント伝』(荒川幾男・原一子・本間直子・宮内寿子訳 晶文社)より引用
『ハンナ・アーレント』の製作意図
 ハンナ・アーレントの業績が世界にもたらした光は、現在もなお輝き続けている。その著作は、これまで以上に多くの人々に切望され、その結果、日々明るさを増している。人々がある特定のイデオロギーの虜になった時代、アーレントは自己の直観に忠実であり続けた、輝かしい例となった。
 1983年、私はローザ・ルクセンブルクを題材にした映画が撮りたかった。20世紀で最も重要な女性であり、思想家だと確信していたからだ。そして、闘士や革命家としての彼女の内側に存在する、女性の姿を理解したかった。しかしながら、21世紀を迎えた現在、ハンナ・アーレントのほうがはるかに重要な人物だ。彼女の先見性と智慧は、ようやく理解され始め、論じられ始めたばかりである。彼女がアイヒマン裁判のレポートの中で“悪の凡庸さ”という概念を初めて導入した時、あたかもユダヤ民族の敵であるかのように、激しく批判され攻撃された。現在、“悪の凡庸さ”という概念は、ナチスの犯罪を論じる上で欠くことのできない概念となっている。
 そして、本作においても、アーレントという自由で偉大な思想家の背後に隠れた、女性の姿を描きたいと考えた。
 彼女はドイツに生まれ、ニューヨークで亡くなった。なぜ、彼女はアメリカに移住したのか?

 ユダヤ人である彼女は、自ら望んでドイツを去ったわけではないはずだ。彼女の物語の中から、これまでの映画製作で私が問い続けてきた疑問が浮かび上がってきた。ある人間が抗しがたい歴史的・社会的事象に対峙した場合、その人間はいかなる行動をとるだろうか? アーレントは、他の多くのユダヤ人と同様、ナチスの犠牲者になっていても不思議ではなかった。しかし、彼女はいち早く危険を察知し、ドイツからパリに亡命した。フランスがドイツに侵略されると、スペインとポルトガルを経由し、最終的にニューヨークにたどり着いた。その間、彼女はドイツ在留を選択しナチスを支持した友人たちを、苦々しく思っていた。彼女は、“新しい時代”に適応する友人たちの変わり身の早さに深く失望し、そうした現象をあるインタビューの中で「ヒトラーに対して何らかの幻想を抱いた」と表現した。つまり、彼らは自分たちの決断を正当化するためにヒトラーに対して幻想を抱いた、という意味である。亡命は、アーレントにとって“第2の目覚め”となった。最初の目覚めは、ハイデッガーのもとで哲学を学んでいた時である。当時、彼女は純粋な思考の追及を自分の天命と考えていた。だが、彼女が亡命を余儀なくされた後、現実世界と関わるという選択肢しか残されていなかった。1960年に彼女はアメリカ永住を決断し、20世紀の歴史の中で最も悲劇的な一章と取り組む覚悟を決めた。そして、数百万のユダヤ人虐殺の代名詞、アドルフ・アイヒマンと対峙することになる。
 本作は、アーレントとアイヒマンの人生が交差した怒涛の4年間に物語を絞り、ふたりの対決から生まれた歴史的、感情的衝撃を深く理解できるようにした。妥協を知らぬ特異な思想家アーレントが、命令に従順に服従する官僚アイヒマンと出会ってから、彼女自身も、ホロコーストに関する議論も、永遠に変わってしまった。彼女はアイヒマンの中に、思考能力の欠如と服従が入り混じった人間の姿を見い出した。彼の無思慮の結果、数百万の人間がガス室に送られたのだ。アイヒマンの拉致から『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』出版に至る4年間に焦点を絞ることで、アーレントの画期的な業績を掘り下げることができるだけでなく、彼女自身の性格や人間性も表現できると考えた。我々観客は、アーレントの女性としての、恋人としての、そして彼女の最も重要な側面である友人としての姿を深く知っていくことになる。例外的に、1920年代と1950年代を描いたフラッシュバックが登場するが、そこで描かれるのは、若きアーレントとハイデッガーの情熱的な恋愛と、戦後の再会だ。アーレントは、ハイデッガーが1933年にナチスに入党したという事実があるにも関わらず、彼との関係を絶とうとしなかった。フラッシュバックは彼女の過去を理解するために重要だが、本作はニューヨークを主要な舞台とし、パリ亡命中に出会った夫ハインリッヒ・ブリュッヒャーや、ドイツとアメリカの友人たち、とりわけ作家メアリー・マッカーシーと、アーレントの最も古い友人であるユダヤ系ドイツ人哲学者ハンス・ヨナスを描いていく。

 本作は、ハンナ・アーレントを思考と感情の間で揺れ動く人間、時には知性と感情を峻別しなくてはならなかった人間として描いた映画である。彼女は情熱的な思想家・大学教授であり、しばしば“友情の天才”と讃えられたように、生涯にわたる親交を保った女性であるが、自己の思想を断固として貫き、いかなる対立からも身を隠さない闘士でもある。しかしながら、彼女は常に理解するという目標を抱いていた。彼女が日頃から口にしていた「私は理解したい」という言葉が、それを最もよく表している。
 私は、人間と世界を理解しようと追求し続けるアーレントの姿勢に完全に圧倒された。彼女がそうであったように、私は判断を下すのではなく、ただ、理解したいのだ。本作において、私は全体主義と20世紀の道徳崩壊、自己決定と選択の自由、彼女が悪と愛について明らかにしたものを理解したい。そして、アーレントという偉大な思想家を考え続けることがなぜ重要なのか、私がたどり着いた理解を、観客の皆様にも理解していただきたいと望んでいる。
 アーレントの生涯を理解するための鍵は、彼女がこだわり続けた「アモール・ムンディ(世界への愛)」にある。亡命を余儀なくされた結果、彼女は人間の脆さと凄まじい疎外感を体験することになったが、それでも彼女は、歴史の荒波に抵抗し得る個人の力の存在を信じ続けた。私の見る限り、彼女は絶望感と無力感に打ちのめされることを断固として拒み、「現在もなお輝き続けている」素晴らしい女性である。愛し愛されることを可能にした女性、彼女自身の言葉を借りれば、「手すりにすがらずに思考する」ことができる女性だ。つまり、自立した思想家である。
 本作では、アーレントの人間像を正確に描くため、アメリカのアーカイヴに保存されている文献資料や映像資料に頼るだけでなく、彼女の生涯と仕事を長年見守ってきた同時代の証言者たちに、長時間のインタビューを行なった。

(訳:前島秀国)