ベルリン・フィルと子どもたち
 
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キャスト&スタッフ CAST & STAFF

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/BERLINER PHILHARMONIKER(演奏) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/BERLINER PHILHARMONIKER(演奏)
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 1882年設立。以後、世界を代表するオーケストラとして君臨し続けている。ウィーン・フィルとともに世界二大最高峰と呼ばれるが、BPOの特徴はなんと言っても、柔軟で挑戦的な精神、そして、それを支える各メンバーの驚異的なテクニックと実力があげられる。従って、楽団員にも「12人のチェリストたち」という演奏会で知られるトップチェリストやフルートのエマニュエル・パユといったスター・プレイヤーが多い。87年にビューローが初代常任指揮者に就任以来、フルトヴェングラー、カラヤンなど伝説的な指揮者がその任についていることでも有名である。サイモン・ラトルの就任は、楽団員の投票によって行われた。


ロイストン・マルドゥーム /ROYSTON MALDOOM(振付)
ロイストン・マルドゥーム /ROYSTON MALDOOM(振付)
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 1943年生まれ。英国ロイヤル・バレエ団の映画に魅了され、本格的なダンス・レッスンをはじめ、22歳という遅めのスタートを切る。前出バレエ団やアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・スクールで学んだ後、1つの作品を仕上げる中で、振付けの魅力に気付き、振付師となる。数々のプロフェッショナルなダンス・カンパニーと仕事をするかたわら、20年にわたってダンス・ユナイテッドのような、年齢や能力、文化的背景が異なる人々が一緒に踊るというダンス・プロジェクト的カンパニーにも指導を行ってきた。また、紛争中のリトアニアやクロアチア、ボスニアのダンス・プロジェクトに関わる。95年エチオピアでは、当時追放されていたストリートチルドレンが出演するオルフのバレエ曲《カルミナ・ブラーナ》の舞台を、大使や政府高官の前で大成功させる。
現在、「アートは、コミュニケーションだ」という持論をもとに振付師として独自の活動を続ける。


スザンナ・ブロウトン/SUSANNAH BROUGHTON(共同振付)
スザンナ・ブロウトン/SUSANNAH BROUGHTON(共同振付)
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 カンタベリー大学で、舞台、映画を専攻し、ラバン・センター、ロンドンのコンテンポラリーダンススクールで踊りを学ぶ。ダンサーとして活躍した後、活動の重点をイギリスの内外でのグループダンスの仕事に置くようになる。エリザベス女王の記念式典パレードで芸術部門を担当するなど大きなプロジェクトにも多数参加し、ロイストン・マルドゥ?ムの振付助手として、リトアニア、北アイルランド、エチオピアでのダンスプロジェクトも手がけた。今回のプロジェクトでも振付助手として参加した。2004年のベルリン・フィルのダンスプロジェクト≪ダフニスとクロエ≫にも参加している。


マリー/MARIE THEINERT マルティン/MARTIN EISENTRAUT オラインカ/OLAYINKA SHITU
マリー/MARIE THEINERT
(2002年当時/14歳)
マルティン/MARTIN EISENTRAUT
(2002年当時/19歳)
オラインカ/OLAYINKA SHITU
(2002年当時/16歳)
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 6年生のマリーは出席よりも欠席の方が多い不真面目な生徒だった。初めは踊ることを怖がっていたが、通い続けるうちに自らの意思で上のダンスクラスへ行くことを望んだ。同プロジェクトで人生の転機を迎えた彼女は、04年5月男の子を出産し、現在子供の父親と子供と一緒にベルリンに住んでいる。学校も卒業しようと充実した日々を送っている。  マルティンは3年前にベルリンにやって来た。彼が参加したダンスクラスは、当初男子は5人しかおらず皆腰が引けていた。更に彼は周囲に溶け込めず孤立しており、プロジェクトを途中で諦めかけていたが、ロイストンに励まされ最後までやり抜いた。その後もダンスのグループに残り踊りを続け、現在はベルリンで生活情報科学を勉強中である。  ナイジェリア出身で、15歳のときに両親が内戦で殺され、6ヶ月前に1人でドイツへやって来た。彼の奨学金助成クラスには世界中から子供たちが集まっており、皆難民でドイツ語が話せなかった。このダンスクラスが彼にとって初のドイツでのクラスとなり、初めての友達も出来た。その後彼は、1年でドイツ語をマスターし、高校へも進み、現在は情報科学を勉強中である。


250名のベルリン在住の子どもたち
250名のベルリン在住の子どもたち
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バレエ音楽《春の祭典》&ストラヴィンスキー

バレエ音楽《春の祭典》 イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971年) 
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 2003年のベルリン・フィル教育プログラム「ダンスプロジェクト」で子供たちのためにサー・サイモン・ラトルが選んだのはストラヴィンスキーのバレエ音楽《春の祭典》である。同曲は《火の鳥》《ペトルーシュカ》と並ぶストラヴィンスキーの三大バレエ作品のひとつで、彼が《火の鳥》の最終部を作曲中に、突然荘重な邪教徒たちの祭典の幻影を見たことにより生まれた代表作である。1913年パリのシャンゼリゼ劇場において、ニジンスキーの振り付けでロシア・バレエ団により初演され、曲の題材や、それまでの伝統に根ざした音楽には無い不協和音や斬新なリズムと振り付けは、観客の暴動を巻き起こし20世紀音楽史上最大のスキャンダルとなった。しかし、大論争を起こしたこの作品は、後に各地で演奏され、センセーションを巻き起こし、音楽史上に残る1曲となった。  ロシア生まれの20世紀を代表する作曲家。ロシアの大作曲家リムスキー・コルサコフ指導のもとに本格的に作曲を学ぶ。ロシア・バレエ団を主宰し、名プロデューサーとしてバレエ史に残る才能を世に出したディアギレフにその才能を高く評価される。《火の鳥》で大成功を収め一躍注目を浴び、続いて《ペトルーシュカ》《春の祭典》の三大バレエを作曲する。第一次世界大戦やロシア革命のため帰国できず、スイス各地を転々としながら、フランスへ移り住み、《きつね》《結婚》《兵士の物語》などバレエ曲や歌曲をたてつづけに発表した。晩年は宗教音楽に傾倒する。ニューヨークでこの世を去り、ヴェネチアに埋葬された。


 
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