ベルリン・フィルと子どもたち
 
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サイモン・ラトルインタビュー SR. SIMON RATTLE

サー・サイモン・ラトル 音楽、未来に向けて 

--サー・サイモン・ラトル 

(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督/首席指揮者)インタビュー

“音楽家”としての私の始まり
ドラムとの出会いがすべての始まりだった。私が3、4歳の頃のクリスマスに両親がドラムセットをプレゼントしてくれて…それ以来のめり込んだよ。新年になる前にはもうドラムに張っている皮を破いてしまったほど(笑)まさに“叩きまくって”いたんだ。それからはポットからフライパンから、叩いて音の出るものなら何でも打ち鳴らした。同じ頃『ウエスト・サイド物語』を両親と観て、ラテンパーカッションを残りの人生、いや来世でも(笑)プレイし続けたいと心底願ってたね。ほんと、私は変わった子供だったなあ。

音楽家になる夢は、いろいろな偶然の積み重ねで思った以上に早く実現したんだ。高校を飛び級で卒業して王立音楽院に入学したのが16のとき(というのも、まだ若すぎて大学に入れなかった)、そして指揮者のコンペティションに応募したのが19のときだ。勝ちたかったから、というよりも決勝戦まで残れば本物のオーケストラを前にタクトを振れるんだと思ったからでね、でも優勝してしまったんだ。賞金は仕事にありつけたこと!2つの地方オーケストラの指揮者助手になり、私のプロとしての音楽家人生は始まった。音楽をやりながら、生活費を稼いだんだ。これで喰っていけなくなったらどうしようなどと考えたこともなかった。これしかない、と思ってたからね。
こんな私でも、他人には音楽家になりたいとは話せなかった。“(労働者・中産階級の)男の子がアーティスティックなことなんて”という偏見が存在していたからね、まさに映画の『リトル・ダンサー』そのものだよ。限られた友人しか、音楽家としての私の素顔を知らなかった。だからスクールコンサートで私が演奏するのを見て皆が「アイツが本当にやりたかったことはこれか!」とようやく理解してくれたんだ。でも本当に自分が言いたいことを言えるようになるには(プロの音楽家になってしばらく経った)30代まで待たなくてはならなかった。それでも自己を失わずにいられたのもやはり音楽があったからなんだ。

「教育プログラム」がもたらすもの
ベルリン・フィル(以下BPO)が私のところに、芸術監督就任の要請に来た時言われたことがいまでも忘れられない。彼らはBPOを19世紀や20世紀から進化していない古いオーケストラでなく、21世紀型の新しいオーケストラにしたいと言ってきたんだ。私はそんな彼らの意気込みが「Zukunft@BPhil(未来@ベルリン・フィル=教育プログラムの総称)」こそBPOの最も重要な活動だと位置付けていることが嬉しい。私にとっても、このプログラムがこれからのBPOでの仕事に希望を与えてくれるんだ。
私は今回の「ダンス・プロジェクト」が楽団員に、音楽家としてだけでなく人間として多くを学べるいい機会だと思っている。楽団員は自分たちの演奏や個性や愛で子供たちがどうしたいかに反応し、それこそ“即興”しなくてはならないからね。そして子供たちも何かをこの活動から得ると思う。人は皆--私も含めて--何か物事を始める時に感じる恐れと向き合い、克服しなくてはならないんだ。若者なら一度始めてしまえば徐々に恐れが消え、やがて誰もが音楽を創造していいんだということに気づくだろう。その音楽も傑作である必要はないんだ。シェイクスピアのような見事な詩でなくていい、“創る”ということこそが人間が持っている才能の一部なんだ。自ら創造したものを他者に向けて発表できるなんて素晴らしいことだと思わないかい?
英国では顕著なようだけれど、これまで以上に学校が芸術を教育の手段として重視し始めた。他者とどう付き合うか、共同作業はどう行なうか、感情をどう表現するか等を教えるのに芸術を用いるんだ。特に十代はいろいろな感情が内面から湧き出てきているのに、それをどう表現したら良いか分からず破裂しそうになってるだろう、“魂のにきび”って言ったらいいのかな(笑)。芸術は全ての物事に信じられない程の影響力を持つんだ。何かを癒すだけでなく、他のものを学ぶ手助けにもなるんだ。
私は感じているんだよ、我々教育に携わる者は長きに渡って型にはまった人間を育ててきたと。我々がこれまで築いてきた社会は消えたのだと思う、これからの社会のためにもっとクリエイティヴな人間が必要だ。違う物事を結び付けたり、新たな方向に進むことのできる人間が必要なんだ。そして言葉でなく、芸術こそが社会を盛りたて、人々に活力を与えるんだ。芸術は言葉よりもパワフルなんだ。

ベルリン・フィルの未来
私はBPOがここベルリンで何かとても特別な存在であることを感じている。大半はポジティヴなイメージだが、中には近付き難い印象を抱かれているであろうことやBPOに無関心な風潮も感じられる。しかしBPOはいろいろな人々を歓迎したいんだ!確かにこれまでの歴史からBPOが(特に)西ベルリンの象徴だったことが威厳を感じさせるのだと思う。でも人々にBPOの音楽が自分たちの音楽だと、そして自分たちに必要なものだと思ってほしい。そして最も大切なのは、我々もまた街に出て人々とコミュニケイトしなくてはならないことだ。これからはもっと人々が集まる場所で演奏したいんだ。
いまベルリンではかつてない規模で経済破綻が進んでいる。芸術は存続のために戦わなくてはならないだろう。我々は行動を起こさねば、これからの時代を生き残るためにね。この狂った時代、人々は芸術全般に生きる意義を見い出すだろう。人としての意義、存在する意義…素晴らしい音楽を聞けば分かるんだ、“自分はひとりじゃない、この思いを誰かと分かち合える”って。音楽なしでは人は孤独で、社会的に機能しなくなり文化的でもなくなるだろう。誰にでも音楽は必要なんだ、そして可能な限り自分を高めるられるんだ。もっと言えば私は音楽が人と人を隔てるのではなく、結び付けることができるとも伝えられると思うんだ。音楽をやっている皆が、言葉がなくても何か大きな真理を音楽で伝えられると信じている。ただの理想なんかじゃないよ、本当にそうなんだから。

サー・サイモン・ラトル/Sir Simon Rattle
1955年イギリス・リヴァプール生まれ。幼少の頃から楽器に親しみ、父親の影響でジャズの洗礼を受ける。小学生の頃姉の影響で楽譜を読み、現代音楽やクラシックに熱中する。その後ナショナル・ユース管弦楽団に入学し、打楽器を担当。71年、ロンドンの王立音楽院に入学し指揮法を学ぶ。わずか19歳でジョン・プレイヤー国際指揮コンクールで優勝を飾り、またグラインドボーン・オペラ音楽祭にも最年少でデビューという早熟した才能をみせる。世界中からオファーが殺到する中、当時は一地方オーケストラであったバーミンガム市交響楽団(CBSO)を敢えて選び話題に。80年には同楽団首席指揮者に就任し、CBSOを世界的なレベルに押し上げた。90年、同楽団の音楽監督も兼任。94年、39歳の若さでイギリス音楽界に多大な貢献をした業績によりナイト称号を授与され、“サー”サイモン・ラトルとなる。2002年、フルトヴェングラーやカラヤンが歴任した世界最高峰のオーケストラのひとつ「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」のシェフ(芸術監督兼首席指揮者)に就任。04年11月ベルリン・フィルに就任後としては初の来日を果たす。05年4月には史上初となる「ベルリン・フィル&ウィーン・フィル」合同オーケストラの実現を発表し、世界中の度肝を抜いた。ちなみに伝統を重んじる「ウィーン・フィル」が“常任指揮者を置かない”というその歴史と理念を変えてまでラトルと組むことを望んだ、とも言われている。
 

 
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