音楽家になる夢は、いろいろな偶然の積み重ねで思った以上に早く実現したんだ。高校を飛び級で卒業して王立音楽院に入学したのが16のとき(というのも、まだ若すぎて大学に入れなかった)、そして指揮者のコンペティションに応募したのが19のときだ。勝ちたかったから、というよりも決勝戦まで残れば本物のオーケストラを前にタクトを振れるんだと思ったからでね、でも優勝してしまったんだ。賞金は仕事にありつけたこと!2つの地方オーケストラの指揮者助手になり、私のプロとしての音楽家人生は始まった。音楽をやりながら、生活費を稼いだんだ。これで喰っていけなくなったらどうしようなどと考えたこともなかった。これしかない、と思ってたからね。
こんな私でも、他人には音楽家になりたいとは話せなかった。“(労働者・中産階級の)男の子がアーティスティックなことなんて”という偏見が存在していたからね、まさに映画の『リトル・ダンサー』そのものだよ。限られた友人しか、音楽家としての私の素顔を知らなかった。だからスクールコンサートで私が演奏するのを見て皆が「アイツが本当にやりたかったことはこれか!」とようやく理解してくれたんだ。でも本当に自分が言いたいことを言えるようになるには(プロの音楽家になってしばらく経った)30代まで待たなくてはならなかった。それでも自己を失わずにいられたのもやはり音楽があったからなんだ。 |