TF1
セテラ・インターナショナル
巴里の屋根の下
ル・ミリオン
自由を我等に
巴里祭
リラの門
<映画の原点を作った4大巨匠の一人>と言われるルネ・クレール。26歳の若さで、写真家マン・レイや画家マルセル・デュシャン、音楽家エリック・サティらとシュールレアリスム短編映画『幕間』(1924)を発表。映像と音楽の大胆なコラボレーションを試み、世界を熱狂させた天才作家だ。チャップリン、小津安二郎、ジャック・ドゥミといった名だたる監督に影響を与えた、まさにフランスの至宝。没後40周年の今、クレールの40年以上に渡るフィルモグラフィーを紐解くと、映画に新たな息吹をもたらし、フランス映画の黄金時代を築き上げた多彩さに、驚かずにはいられない。

無声映画からトーキー、モノクロからカラー映画、ワイド・スクリーンへと映画技術が目まぐるしく発展していく中で、常に第一線の監督として活躍し続けた。今回のベストセレクションの中心は1930年代のトーキー初期に作られたクレールの傑作群。『巴里の屋根の下』(30)『巴里祭』(33)は今でも歌い継がれるシャンソンの名曲を主題歌に導入、パリの下町で花咲く若者たちの恋の行方を描いた。『ル・ミリオン』(31)はドタバタした動きによる笑いを随所に散りばめ、『自由を我等に』(31)では貧富の差が広がる社会への批判を込めながら、男たちの友情と恋を大らかに描いた。
第二次世界大戦時には、戦火を逃れてアメリカへ渡るが、『奥様は魔女』(42)でソフィスティケーティッド・コメディに影響を与え、ハリウッド映画史にも足跡を残す。その後、母国へ戻ってからは、『悪魔の美しさ』(49)、『夜ごとの美女』(52)、『夜の騎士道』(55)などで、ジェラール・フィリップをフランス最高のスターに育て上げた。そして、ベストセレクションの最後を飾る’57年『リラの門』は、クレール円熟期の集大成。伝説的シャンソン歌手ジョルジュ・ブラッサンスとの幸運な出会いにより、ユーモアたっぷりの可笑しくも切ない人情喜劇の傑作を作りあげた。

偉大な映像作家、ルネ・クレール没後40周年メモリアルイヤーに、4Kデジタル修復版で現代に蘇ったトーキー初期の大ヒット4作品と円熟期の傑作を、時を越えてスクリーンで観る喜び。映像と音楽の素晴らしい融合が観る者の想像力を掻き立てる、リリカルでファンタジックな世界。耳に残る歌声とユーモアたっぷりの大らかな恋と友情の物語が、優しく心に響きわたる―
1898年11月11日、パリ生まれ。本名ルネ・リュシアン・ショメット。父はパリ中央市場の商人。兄は映画監督アンリ・ショメット。1916年兵役を免除されるが、負傷兵救助協会に入る。’18年に記者に採用され、ルネ・ダンスニ名義で詩『大いなる幻影』(19年)、小説「怪物たちの島」(20年)などを出版。’20年には、友人を介して知り合ったロイ・フラー監督の映画「人生の百合」(未)に王子様役で出演し役者デビュー。その後、ルイ・フィヤード監督の連続活劇「孤独の娘」(21)、「パリゼット」(21)など7本の映画にルネ・クレール名義で出演。’22年、兄のアンリらと共にベルギーに行き映画演出を学ぶ。’23年、初監督作「眠るパリ」を撮影。’24年、フランシス・ピカピア創作のバレエ「本日休演」(音楽エリック・サティ、振付ジャン・ボルラン)の幕間に上映するシュールレアリスムの短篇映画『幕間』を撮影。画家マルセル・デュシャン、写真家マン・レイなども出演した。この頃、ロシア領ポーランド生まれの舞台装置家ラザール・メールソンと知り合う。’25年、『幕間』「眠るパリ」公開。’26年5月、ブローニア・ペルルミュテルとの間に長男ジャン=フランソワ誕生。’28年6月、ブローニア・ペルルミュテルと結婚。’30年、初のトーキー映画『巴里の屋根の下』を撮影し、軽快な音楽、歌曲を組み合わせた。『ル・ミリオン』(31)、『自由を我等に』(31)、『巴里祭』(33)、『最後の億万長者』(34)等を発表、日本でも高く評価された。’34年から38年にかけて英国ロンドンに滞在し、『幽霊西へ行く』(35)など2本の作品を発表。’40年、スペイン経由で米国に亡命、『焔の女』(41)でハリウッド・デビューを果たす。『奥様は魔女』(42)『そして誰もいなくなった』(45)など5本の作品を発表したが、ヴィシー政権に国籍を剥奪される。’46年フランスに帰国し、第1作『沈黙は金』撮影。’48年にジェラール・フィリップと出会い、翌年ファウスト伝説に基づく『悪魔の美しさ』に起用、’59年にはジェラール・フィリップ主演のミュッセ劇「戯れに恋はすまじ」を演出、フィリップ最後の舞台出演作となる。同年、『沈黙は金』(47)、『悪魔の美しさ』(49)、『夜ごとの美女』(52)、『夜の騎士道』(55)、『リラの門』(57)の台本を収めた「劇と解説集」刊行。’60年には、映画人として初めてのアカデミー・フランセーズ会員に選ばれる。’70年来日し、9月9日大阪万博プレスセンターにて「芸術と進歩」講演。著書「ルネ・クレール 映画をわれらに」(邦訳フィルムアート社)刊行する。’81年3月15日、長年住んだパリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌのアパルトマンにて死去。
フィルモグラフィー
無声映画
1923年
眠るパリ Paris qui dort 短編 ※未公開
1924年
幕間 Entr'acte 短編 / ムーラン・ルージュの幽霊 Le fantôme du Moulin-Rouge ※未公開
1925年
空想の旅 Le voyage imaginaire ※未公開/特集上映
1926年
風の餌食 La proie du vent ※未公開
1927年
イタリアの麦わら帽子 Un chapeau de paille d'Italie ※未公開/特集上映
1928年
塔 La tour ※未公開/特集上映
気弱な二人 Les deux timides ※未公開
トーキー映画
1930年
巴里の屋根の下 Sous les toits de Paris
1931年
ル・ミリオン Le Million / 自由を我等に À nous la liberté
1933年
巴里祭 Quatorze Juillet
1934年
最後の億万長者 Le dernier milliardaire
1935年
幽霊西へ行く The Ghost Goes West (英)
1938年
ニュースを知らせろ Break the News (英)※未公開
1941年
焔の女 The Flame of New Orleans (米)
1942年
提督の館 Forever and a Day (米)※TV放送/8分間の挿話のみ監督
奥様は魔女 I Married a Witch (米)
1944年
明日を知った男 It Happened Tomorrow (米)※未公開/ビデオ
1945年
そして誰もいなくなった And Then There Were None (米)
1947年
沈黙は金 Le Silence est d'or (仏=米)
1949年
悪魔の美しさ La Beauté du diable (仏=伊)
1952年
夜ごとの美女 Les Belles de nuit (仏=伊)
1955年
夜の騎士道 Les Grandes manoeuvres (仏=伊)
1957年
リラの門 Porte des Lilas(仏=伊)
1960年
フランス女性と恋愛 La Française et l'amour 第4話「結婚篇 Le mariage」(伊=仏)
1961年
世界のすべての黄金 Tout l'or du monde (伊=仏)※未公開
1962年
四つの真実 Les quatre vérité 第4話「二羽の鳩 Les deux pigeons」(スペイン=伊=仏)※未公開/映画祭上映
1965年
みやびな宴 Les fêtes galantes (仏=ルーマニア)※未公開