1928年1月23日フランス・パリ生まれ。英国人の母親はフォリー・ベルジェールの元ダンサー、フランス人の父親はパリでブラッスリーを営んでいた。少女時代から女優を志し、ドゥニ・ディネスのもとで演技を学ぶ。46年、コメディ・フランセーズに聴講生として参加し、47年に団員に。コンセルヴァトワールにも学び、ジャン・ヴィラール主催による第1回アヴィニョン演劇祭に出演を果たす。50年、舞台デビューを果たして次々と役をこなすかたわら、ヴィラールの国立民衆劇場にも参加。これに並行して映画への出演も始め、マルク・アレグレの『巴里のきまぐれ娘』(53)、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』(54)などに出演するが、なかなか一般的な人気には結びつかなかった。57年、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』で、パリの夜を背景に恋人を探すヒロインを演じて一気にその美しさを開花させ、続く『恋人たち』(58)『危険な関係』(59)でも個性的な美を強く印象づける。さらに、61年にはトリュフォーの『突然炎のごとく』でふたりの男の間で揺れる女を奔放に演じ、その翌年にはジョゼフ・ロージーの『エヴァの匂い』(62)でファム・ファタルを妖艶に演じてみせた。その後も、オーソン・ウェルズ『審判』(63)、『フォルスタッフ』(66)、ルイス・ブニュエル『小間使の日記』(63)など、名だたる名匠たちの作品に積極的に出演し、フランスを代表する女優としての評価を決定づける。そのほか、エリア・カザン『ラスト・タイクーン』(76)、ファスビンダー『ケレル』(82)、アンゲロプロス『こうのとり、たちずさんで』(91)、ヴェンダース『夢の涯てまでも』(91)など、世界中の巨匠たちの作品で名演を残しており、94年にはセザール賞の名誉賞も受賞。また、女優としての活動の一方で監督としても『ジャンヌ・モローの思春期』(79)、ドキュメンタリー作品『リリアン・ギッシュの肖像』(83)を残している。
近年は、『デュラス 愛の最終章』(01)で晩年のデュラスを演じたほか、アモス・ギタイの『撤退』(07)、『カルメル』(09)で印象に残る演技を披露し、強靱な個性を見せつけている。
1959年2月3日エストニア北部の街ハリュに生まれる。首都タリンのエストニア音楽アカデミーの演劇コースに学び、82年に卒業後、同アカデミーの振付とダンスのアシスタントに就く。その後、女優兼ダンサーとして数々の舞台を経験し、99年よりエストニア・ドラマ・シアターの正団員に。その一方、80年代後半より映画にも出演するようになり、「Ma pole turist, ma elan siin」(88)、「Rahu tänav」(91)、「Kallis härra Q」(98)などに出演。また、TVシリーズ「Õnne 13」「ENSV」などへの出演により、エストニアではおなじみの女優。イルマル・ラーグ監督とは、07年の「Klass」で初めて顔を合わせる。本作は、彼女にとって映画では初めての主役作品でもある。
1961年フランス生まれ。コンセルヴァトワールで学び、ドゥニーズ・ボナル、ミシェル・ブーケ、ジャン=ピエール・ヴァンサンに師事する。卒業後は舞台を中心に活動を始め、80年代後半よりバスティーユ劇場や国立民衆劇場の舞台に立つほか、アヴィニョンの演劇祭にも積極的に参加。また、演出家としてもゴーリキーやチェホフのほか、ブレヒトらの作品を演出し、高い評価を得ている。映画では、ベルトラン・タヴェルニエの『コナン大尉』(96)、トニ・マーシャルの『エステサロン/ヴィーナス・ビューティ』(99)、ニコール・ガルシアの「Selon Charlie」(06)、グザヴィエ・ジャンノリの話題作「Quand j'étais chanteur」(07)、マリオン・レーネの「Un cœur simple」(07)などに出演。脇をピリッと締める俳優として活躍。